日本では古くから鰻を食されていたと言われている。古いものでは遺跡から鰻の骨が発掘されていることから新石器時代頃と言われています。そんな日本人の鰻の食文化について取材研究している記事です。
うなぎ屋さん探訪683~フリーズドライ蒲焼、埼玉県さいたま市うなぎ「鯉平」さん
アルミの袋を開けて、中を出してみると、フリーズドライの蒲焼とお米せんべいが入っている。ご飯と蒲焼でうな重という雰囲気だ。蒲焼はサクサクの食感で鰻とタレの蒲焼の味がする。鰻感もしっかりあるから面白い。酒のツマミに最適なフリーズドライ蒲焼だ。「鯉平」さんを探訪する。
うなぎ屋さん探訪685~うな重革命!?冷凍うな重のクオリティーが優秀すぎる!!埼玉県松伏町うなぎ「川昌本店」さん
昨今の食品冷凍技術の進歩がスゴイ。埼玉県松伏町の「川昌本店」さんでは「冷凍うな重」を展開しているという事でお試ししてみた。お店で提供するのと同じ調理法で、お客様に出す直前に特殊冷凍の技術で瞬間急速冷凍をするのだそうだ。こうすることで出来上がりの状態のまま鮮度を維持してお届けできるのだそうだ。「川昌本店」さんを探訪する。
鰻完全養殖研究の最前線2016年
国立研究開発法人水産研究・教育機構増養殖研究所ウナギ種苗量産研究センター桑田センター長に話を伺ってまいりました。
「くだらない」の語源はこれだった!?
下り酒とは、江戸時代に上方で生産され、大量消費地である江戸へ運ばれた酒のことだ。鰻屋では伊丹(兵庫)の剣菱が呑まれていたようだ。上方からくだらない酒を下らない酒と呼んだそうで現在の「くだらない」の語源になっているとか。
うなぎ食文化の歴史 その3
時代は明治維新へと進んでいく。うなぎの養殖は1879年(明治12年)に登場する。明治以降は、養殖うなぎの歴史となるようだ。1868年(明治01年)江戸城、無血開城。江戸を東京と改称。明治のころになると鰻屋の看板は「御蒲焼」なったようだ。
うなぎの食文化の歴史 その2
蒲焼は江戸時代中期以降に確立されていいく。時代の背景なども併記していくと、わかりやすそうなので主な出来事などとともにご参考いただければと思う。うなぎの食文化 その2
うなぎの食文化の歴史 その1
日本人の食文化にうなぎが登場するのは、遺跡から発見された魚の骨の中にウナギのものも含まれていることから新石器時代頃と言われている。どのように今の蒲焼になっていったのか調べてみた。
土用丑の日の発祥についての諸説
土用丑の日の発祥についても諸説あるらしいが、それについて調べてみた。
うな丼についての諸説
うな丼の発祥には諸説あるらしいが、それについて調べてみた。