うな丼についての諸説

宮川政運「俗事百工起源」1885年(明治18年)によると、天保年間あたりの江戸日本橋堺町(人形町)で、芝居の金方である、うなぎ好きの大久保今助が、葺屋町(人形町)の大野屋からよく出前をとった、その時に丼に飯を盛り、うなぎを入れさらにご飯を盛って、持ってせていたという。

いわゆる、まむし丼だ。手軽な食べ方と、飯にタレがしみ込んだ味が人気となり、葺屋町(人形町)の大野屋が「元祖鰻めし」という看板で売り出したのが最初だと言う話。

うな丼の画像は荻窪の安斎さん

うな丼発祥の地とする竜ケ崎市によると、前述の大久保今助の故郷は、現在の茨城県常陸太田市で、帰省の時水戸街道を牛久沼まで来て、茶店で渡し船を待っているときに鰻が食べたくなり、蒲焼きと丼飯を頼んだ。ところが、注文した品が出てきたときに船が出る時間となり、今助は丼と皿を借り、丼飯の上に蒲焼きののった皿を逆さにかぶせて船に乗り込み、対岸に着いてから土手に腰をおろして食べたという、すると蒲焼きが飯の温度で蒸されていて、より柔らかくなり、飯にはタレがほどよく染み込んで、これまでに食べたどこの鰻よりも、うまかったという話などがある。

どちらの話にも登場する、芝居の金方である大久保今助さんがうな丼のキーマンのようだ。

当時は、うな丼の客は店の二階の座敷には上げなかったようだ、自宅で丼に飯を盛りうなぎ屋でうなぎを飯にのっけてもらい、持ち帰るスタイルだったようだ。

2013.03記

コメント

  1. […] 牛久沼というと、うな丼発祥の地として都市伝説的に知られている。あの大久保今助の話だ。うな丼についての記事はコチラをご参照 https://unatan.net/?p=1410 […]

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