「鯉平」の文字、埼玉県民のうなぎ好きは一度は目にしたことがあるだろう。特に大宮市民には馴染み深いのではないだろうか。
株式会社「鯉平」は、主なうなぎ流通「生産者(養鰻場)~生産地問屋~消費地問屋~うなぎ専門店」のうちの消費地問屋にあたり、埼玉県内扱い量シェアでは7割弱を占める。うなぎだけの取扱量では日本最大級となる。
初代清水平八氏は岩槻の「鮒又」という卸問屋兼料亭に奉公したのち1897年(明治30年)大宮氷川神社参道の一の鳥居前にて創業。当時は川魚の中でもコイを扱う量が多く、「鯉屋の平八」と親しまれいつしか呼び名が「鯉平さん」となり、それが現在の社名となったのだそうだ。
時代的には日露戦争前、1900年(明治33年)服部倉次郎が浜松舞阪でうなぎの養殖を始めたころだ。
二代目清水重雄氏のころにはドジョウも扱うようになり戦後の三代目清水晃氏のころにうなぎを中心に扱うようになったのだそうだ。ちょうど時代的にも1950年(昭和25年)物資統制撤廃からうなぎ養殖生産量が増加し飼料がよくなり品質が改良が進んでいったころだ。そして、現在は四代目清水良朗社長が経営を担っている。激動の時代を生き抜く100年企業なのだ。
株式会社「鯉平」のある見沼区の流通団地に向かう。今回「鯉平」のご案内をしていただいたのは清水亮佑取締役。到着した時には朝礼中、ピリッとした空気を感じる。早速、概要説明をしていただき、現場を案内していただいた。
こちらは立て場、活鰻の鮮度維持には欠かせない設備だ。これが壁の両面に設置され量の多さに圧倒される。
うなぎ屋さんとお話しする中で「鯉平」さんは種類、量が豊富なので使用する活鰻の選択肢が広がるし、いざという時に対応していもらえると、話していたのを思い出す。
こちらの現場の奥にあるのが、この機械。活鰻のサイズ選別機だ。上部から活鰻を投入しサイズ別に黒いオケに仕分けされていく。こういう機械を開発する業者がいるのだなあと感心する。
黒いオケをよく見ると、小さなタグが付けられている。これがタグ。暗号のようで素人には何が書いてあるかは分からない。いつ、どこから、どんなサイズなどの情報が記載され在庫管理されている。
このシステムが四代目清水良朗社長が作り上げたトレーサビリティの仕組みのひとつだ。これによりうなぎ店さんが求める品質に合わせて出荷できるようになりお店が生産地を指定して注文するケースが増えたという。
こちらは、活鰻を加工してお店に卸す工程。活鰻を割いた状態、串打ちまでしてある状態、さらには白焼きの状態で欲しいというお店のニーズに応える。これには、うなぎ専門店での、うなぎ職人の不足というおおきな問題が背景としてあるようだ。
やはり機械で串打ちしたものは最終的には人間の手で微調整をするのだそうだ。お店の注文によって、串の位置が違うのだという。
生産地管理、品質管理、職人不足の問題などに取り組んでいる。このようなお店からの要望に応えるのが問屋に求められる付加価値なのだろうと感じた。清水亮佑取締役は、うなぎ職人不足の問題に対しては職人を養成する対策にも取り組まなければいけないだろうと話す。
こちらはドジョウ。ドジョウもいまでは高級魚、ブランドドジョウも取り扱っている。
そしてナマズ。やっぱりナマズはナマズ。
こちらは、鯉の生簀。本日は残念ながら全て出荷された後だったようだ。
スッポンも取り扱う。低温の仮死状態で鮮度維持している。
今回、撮影をされて都合の悪いところは無いという。これは、”お見せできないものはありません”という表れだろう。また、現場を回っている時の鯉平社員の方々の挨拶がとても気持ちよかったのが印象的だ。
“進化する老舗企業”を経営理念に掲げる「鯉平」様々な深い問題を抱えるうなぎ業界の中心で創意と工夫で進化し続けるのだろうということを感じた。
「鯉平」オフィシャルウェブサイト
http://www.koihei.co.jp/
こちらの、ウェブサイト内の四代目清水良朗社長の挨拶は私たち消費者にも共感できる内容なので一読いただきたい。
最後に、「鯉平」本社を隅々まで案内していただいた清水亮佑取締役、そして鯉平社員の皆様に感謝申し上げます。
「鯉平」
所在地: 埼玉県さいたま市見沼区卸町1丁目23
営業時間:3:00~14:30
定休日:日曜日
電話:048-682-0525
2016.05
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