いままで、ありそうで無かった、鰻の調理体験。東京「大塚うなぎ宮川」さんでイベントが行われるという。TABIKAというサイトを通じてイベント参加者を募集している。
「大塚うなぎ宮川」四代目 八馬さんより開会の御挨拶。鰻の食文化、守り続けるべきものを大切したいというそしてもっと鰻について知ってもらいという思いがあるという。
「立て場」の説明。黒い桶の上から濾過された水を落とし、鰻を活かしておく。こちらではブランドうなぎ「共水うなぎ」も扱っている。
本日の調理体験は宮崎産「山道養鰻」さんの活鰻を使用する。手を洗い、さっそく鰻をつかむ体験。鰻をつかめないと調理どころではないのだ。八馬先生によるつかみどころのコツを教えてもらうのだが。一回目は失敗。どうしても鰻の身体をつかもうとしてしまう。二回目、やさしく触ったか触らないかくらいの力でやさしく持ち上げるような感覚でやっと成功。
包丁を見せていただく。鰻を裂くための包丁は東京、名古屋、京都、大阪、九州で形が違う。うなぎ関東包丁は一番右側(全体像が入っていなくて申し訳ない。)八馬さんは「つきぢ田村」で日本料理の修業もされている。それぞれ用途によって調理する素材によって、使い分けるのだそうだ。
「大塚うなぎ宮川」四代目 八馬さんによる、うなぎ裂きレクチャー。当然ながら一度聞いてできるものではない。養殖の鰻と言えども個体差がある、その個体差を見極めながらとなる。
鰻串打ちレクチャー。鰻の肉の四つの山を意識して、三本の指で肉をつまんで、これがとてもとても難しい。串が思うように入って行かないし、曲がってしまうと出来上がりの見栄えに影響する。触り過ぎて身を痛めてしまう。苦戦。
やっとのことで串打ちまでたどり着く。あ~時間をかけすぎた、身の色が変わってしまうのだ。鰻調理はスピード感が大切なのを知る。一つの工程を失敗すると、その後の行程すべてに影響し出来栄えも変わってくるという。全ての行程が連動しているのだ。
白焼きの行程。皮側から焼き始める、焼台の場所を入れ替えながら均等に熱を入れるのが技なのだ。そして身の表面の脂がフツフツとしてきた頃合いを見極める。これも焼台の前に立つと、顔にかなりの熱波を感じる場所を入れ替えようと串を触ろうとしても熱くて触れない。
身の表面は焦がさずに、美しい。焼き立ては身の表面が脂でフツフツとしている。串打ちに苦戦し、腹が減ってきた、あ~今食べたい。
白焼きの次は蒸す工程。これで、ちょっと一息かと思いきや。
キモ焼をつくる。肝を上手に串に巻いていくのだが、鰻のヒレを串のストッパーのような感じで使用する。肝は外れやすいので、最後にヒレで外側を巻きつけるようにする。串の作業はたいへん。
肝焼きを焼く。火加減と火の入り方の加減が難しい。生焼けで出すわけにもいかないし、火が強すぎて焦がしてもいけない。そしてなにしろ、焼き場は暑い熱い。
パッと見、職人さんか?と思うほど似合っているが、参加者さん。熱さに腰が引けている!?
最終的には焼は八馬先生の出番、やっぱり美味しくいただきたい。
自分で作った肝焼き。見た目がヒドイ、だけど焼きたてのお味は最高。出来上がった時の見た目を考えながら串打ち、難しすぎる。蒸しあがった鰻をタレ焼きする。この時の串打ちが下手だと、串が蒲焼から外れてしまう。
その合間に重箱にご飯をつめて、まんべんなくタレをかけて、いよいよ仕上げ。
自分で重箱にご飯をつめて、若女将さんがご飯をならして、タレをかける。そして、自分で焼きあがった蒲焼の串を外し、重箱に盛り付ける。柔らかい蒲焼を重箱に盛り付ける時も慎重にゆっくりと。
マイうな重も完成し、客席にてホッと一息。若女将さんから日本酒のご案内、燗酒でいただく。かなりの達成感。
なんだか、蓋を開けてしまうのがもったいない。
おお、マイうな重!感動の瞬間。
いつもように近くで接写。串打ちでいじり過ぎたのがよく分かりますな。全ての行程一つ一つが出来上がりを決める、納得だ。
鰻食文化の継承とは職人技術の継承である。実際に体験してみるとその技術の奥深さがちょっとだけ分かる気がする。串打ち三年、裂き八年、焼は一生。これは嘘ではないと実感した貴重な鰻調理体験でございました。「大塚うなぎ宮川」四代目店主八馬さんと若女将である奥様。老舗を継承するということ、そして鰻食文化を後世に残したい、その意気込みが若い店主と若女将から伝わってきた。貴重な体験をさせていただき感謝申し上げます。
2017.03